今年は午年(うまどし)
山下省三郎(平成2年2月12日)
今年は午年(うまどし)である。私は明治39年に生まれた。丙午(ひのえうま)の年である。自分の「エト」年だからいい年であるように!!
親父もこの俺が日露戦争の翌年の丙午(ひのえうま)に生まれてくるなんて、予想もしていなかったらしい。
昔、江戸が八百屋お七の放火で、大火になった年も丙午(ひのえうま)で、お七も火あぶりになったためか、とかく丙午(ひのえうま)生まれはみんなが嫌う。しかし、みんながいくら嫌っても、自分は83年生きてきた。
だが、丙午(ひのえうま)以外の午年生まれは大吉で、昔から、皆があこがれた。何か、良い年であるような気がする。礼宮さまもご結婚の年。好きな巨人軍も昨年の覇者で、本年も活躍するだろう。
私は午年のせいか馬には縁が深い。若いとき海軍省で戦艦大和、武蔵の設計をしていたころ、機密上、大勢の人に手伝ってもらうわけにもいかず、気分、体力の転換に乗馬を始めた。自分では上手になったと思っていたが、商売柄馬の方で加減してくれていたらしい。得意になって近所の運送屋の馬力馬に乗ったらてんで動かなかった。馬は利口なものだ。
根岸の競馬場は今どうなっているのだろうか、いろいろ思い出すことがある。戸塚の競馬場は駅からの道が悪くて困ったことも忘れられない。こんな記憶もある。前の日に府中でもうけた札束を懐にしてにやにやしていたが、独りではつまらんので、平作に嫁いでいる娘に来るように電話した。
しばらくして、娘が孫二人を連れてきたが、夕飯の支度が忙しいのに何か用かと不服そうであった。その内にいつも食べに行く県立工高そばの寿徳庵から上天丼が届き、娘には1万円札、何枚か、孫にも小遣いをやった。娘は札を懐に、天丼は腹に納めてしまったあともつーんとしていた。解せないのだろうか。札は貰い。食はすませてぶうぶう言いながら帰った。
ああ、そうだ。今年は永らく忘れていた府中のダービーを見に行こう。昨年の「ミスター・フォトジェニック」賞で一位になった武豊騎手の馬を又買ってみよう。
(談)山下省三郎は私の父である。父は晩年、近所の老人会の雑誌に、何度か寄稿していたようだ。それが最近、私のもとに届けられた。それを読んで、紹介してみようという気になった。私は父の遅い子供なので、時代の違いと父の生様に触れて、驚かされることもあった。(山下明)