太田道灌 “智慧の泉を求めて”

第二十六話 熊倉城の攻防

熊倉城は秩父の日野村にある。秩父盆地を取り巻く山々の一つ、熊倉山の一角が城山を形成している。その城は秩父から甲州に抜ける街道を見下ろすような場所にある。関東管領上杉家の家宰として、秩父に所領を有していた長尾家がここに砦を築いたのも、甲州からの出入り口を守るためであった。長尾景春はこの砦を修復し、日野要害とも呼ばれる熊倉城を築いたのである。そして、そこに鉢形城から家族の多くを移していた。いわば、景春にとって、本城である。

長尾景春が塩沢城での敗戦で、多くの家臣を失い、また秩父の地侍たちの離反を受けて、熊倉城にたどり着いたときには、その兵の数は300を割っていた。だが、その兵たちは長尾家に古くから仕えてきた兵たちであった。景春が子供のころから側にいた者たちであった。

景春は熊倉城にたどり着くと、妻の桔梗の手を取った。その城には景春を含め、兵たちの家族が待っていたのだ。その帰還は敗残兵を待ち受けるような寂しいものではなかった。

桔梗は言う。
「よく、ここにお戻りいただきました。お待ち申しておりました。」
景春が振り返ると、兵たちの目が輝いていた。彼らにも家族がおり、皆、彼らを待っていたのだ。兵士たちには家族を守る力が沸きだしていた。
景春は自分についてきてくれた兵の一人ひとりの顔を覗き込んだ。
彼らは笑っている。泣いている者もいるが、その涙はうれし涙だ。

「よし」
景春は力強く、兵たちに言う。
「よし、我らの戦いはこれからじゃ。この熊倉城は要害じゃ。敵をひきつけ、かく乱し、撃退するのじゃ。この山野が我らの味方じゃ。我らには守るべき家族も、守るべき土地もある。最後の最後まで、戦い抜くのじゃ。その先には勝利があるのじゃ。」

景春は再び、精力的に動き出した。太田道灌の軍はすでに秩父盆地に入っている。時間がないのである。家臣たちが築いてくれた熊倉城をさらに堅固にしなければならなかった。そして、ぽつりとつぶやいた。
「水じゃな。」

山城はそれだけで、堅固である。だが、弱点があるとすれば、水である。著名な山城には城内にも水場がある。それ故に長期戦にも、耐え抜くことができるのだが、景春が懸念したように、熊倉城の水場は尾根を降りた八津川の沢の水である。
「水引場を敵に知られてはまずい。何とか、城内に水場があるように見せなければならん。」
景春はつぶやくのである。

熊倉城は本郭(ホンクルワ)、二の郭、三の郭からなっている。家族の多くは本郭に住まわせ、景春自身は三の郭にいることが多かった。三の郭は街道へ突き出した先端地で、敵の様子を見るには都合の良い見晴らし台となっている。景春はある日、三の郭に大瓶を運ばせた。大きな水瓶である。そこで兵に話す。
「ここは見晴らしが良い。と言うことは攻め来る敵にもよく見える場所ということだ。ならば、この城には水が豊富だということを見せつけなければならん。敵が来たならば、桶から瓶へ、そして秘かに瓶から桶へ移し、その水を瓶へと流す姿を見せつけよ。そして、谷津川からの引水の場所を敵に知られてはならん。水をくむのも夜にせよ。それもできるだけ少人数でおこなえ。隠密裏に行え。」

太田道灌が熊倉城の見えるあたりまで、進撃してきた時、その城のあまりに急峻な姿に驚かされる。前面がすべて崖である。後方は熊倉山につながる山道があるが馬の背である。
「これは難しい戦いになりそうじゃな。この城を包囲することも難しそうじゃ。管領殿の命令を全秩父の地侍たちに伝えよ。この道灌の軍に参じよと。」

秩父の地侍たちは動揺していた。恩を受けていた長尾家だが、長井城、塩沢城の敗北で、その凋落ぶりは顕著だ。彼らは道灌側につくことを決意し始めていた。特に薄の地頭小沢左近や小森の地頭嶋村近江守など、景春を裏切った者たちは後に引けなくなっていた。長尾景春の滅亡以外に、彼らの生き残る道は無いのである。彼らも道灌の動きに合わせて残る地侍たちに働きかけていた。

道灌が熊倉城の対岸の丘に陣を敷いた時には、このような秩父の地侍たちを含めて、多くの者が、景春退治の軍に加わっていた。

道灌は城を包囲し、全兵力で、敵を威嚇した。
道灌は言う。
「敵の中に、降伏してくるものがあれば、手厚く遇せよ。」

道灌は小手調べに、比較的に穏やかな白久側から、攻撃を開始した。しかし、谷は狭い。山の上から矢が飛んでくる。城山を這うように登る兵は寸断され、引き込まれ、多数の犠牲を出した。そして、夜になり、道灌は兵を引いた。
「降伏してくる者もおらぬか。」
道灌は敵の結束力の強さを思い知った。

「ゆるゆると攻める以外に無いようじゃ。しかし、この城のどこかに弱点があるはずじゃ。水はどうじゃ。山城ゆえ、水には苦労するであろう。あの城には水が湧き出る場所があるのか。」
樋口兼信が言う。
「私も、それを考えました。しかし、物見の者が言うには、あの城には水が豊富なようです。毎日、大瓶に水を一杯にしている様子が見えるというのです。」


(後談:熊倉城はその名の通り、今でも、熊が出没するそうです。そこで熊倉城の取材にはK氏とH氏の同行をお願いしました。その日はまだ3月で、秩父はまだ春を感じさせませんでしたが、それでも熊も冬眠から覚めるころです。ただ3人と言うのは楽しいものです。山頂近くの日だまりの場所で、コーヒーを沸かしてもらい、まだ芽吹かぬ木々を見ながら、ひとときを過ごすことができました。取材に協力していた両氏には改めて、感謝申し上げます。)


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