太田道灌 “力の泉を求めて”

第十四話 伊勢新九郎

文明8年(1476年)2月、駿河で今川家の当主である義忠が遠江の地で戦死をするという事件が起こる。残されたのは幼子の龍王丸とその母、北川殿である。当然、戦の続く世である。幼子では国を統治できぬという議論が起こる。それを猛烈に主張したのは龍王丸とは従兄の関係に当たる小鹿範満であった。小鹿範満は母方の縁戚にあたる堀越公方の執事・犬懸上杉政憲に支援を求めたのである。

犬懸上杉政憲は自身の軍事力だけでは今川を相手にすることはできないと考える。そこで支援を求めたのが相模の守護扇谷上杉家の当主上杉定正である。上杉定正は館に太田道灌を招き、事情を話す。「どうしたものか。」道灌はこの話に乗り気ではない。「他国、それも駿河の今川家の相続問題に介入することに、何の利があるのでしょうか。」「我が武威を示せる。」「それだけですか。」「それだけとは何だ。重要なことではないか。それに、我れらは所領問題で、堀越公方様ともめてきた経緯がある。ここは恩を売っておくのも悪いことではない。」

道灌も主の命令である。渋々ながらも駿河行きの準備を始める。その道灌に定正がささやく。「小鹿範満殿を今川家の当主にするに、龍王丸がじゃまならば、お命をとれ。」この言葉に、道灌は戦いを覚悟する。ならば、できるだけの兵を引き連れていかなければならない。道灌は1千の兵を率いて、駿河に向かったのである。伊豆で犬懸上杉政憲と合流した道灌は駿河へ、そして小鹿範満の館に入ったのであった。

この状況に危機を感じたのは龍王丸の母である北川殿であった。北川殿にしては龍王丸の当主の座は約束されたものだと思っていた。死んだ義忠の嫡男なのである。誰かを後見人にするという話があっても、他の者に今川家当主の座を奪われるなどと言うことは思ってもみないことであった。北川殿の生家は京の将軍家に仕える伊勢家である。北川殿は実家である伊勢家に助けを求めた。当時の伊勢家の家督は伊勢盛時が継いでいた。伊勢家は足利将軍家の直臣で、盛時の父、盛定は将軍足利義政の申次なる要職を務めていた。北川殿は盛定の娘で、盛時の姉に当たる。龍王丸の危機は将軍家と今川家の絆にも影響する。盛時は将軍の許しを得ると駿河に走ったのであった。

こうして、駿河の今川家の家督を巡って、太田道灌と伊勢盛時が火花を散らすことになる。
ちなみに伊勢盛時こそ、伊勢新九郎であり、のちの北条早雲である。太田道灌が軍勢を背に無言の圧力を加えるのに対して、盛時は必死に、将軍の権威を盾に、龍王丸を守ろうとしていた。それに対して、上杉政憲と太田道灌は小鹿範満の当主擁立を目指していた。盛時が「そち達は上様の命に背くつもりか。」と大音声を上げれば、上杉政憲は低い声で言い放つ。「この乱世、幼児では国は治まりません。小鹿範満様こそ今川家の当主にふさわしいお方と思われます。」政憲が心強く思うのは隣に道灌が控えていたからである。道灌は無言だが、物腰や目が相手を威圧する。伊勢盛時も交渉の相手が前に座る政憲ではなく、太田道灌であることを直感する。せわしく道灌の目を読む。道灌との間で火花を散らす。声高に威圧しようとする盛時を、道灌は鋭い目で跳ね返す。盛時は思う。相手にこちら側の意思を飲ませることが大事だが、あまりに強く主張しすぎて、道灌が席を蹴るようなことだけはあってはならない。難しい立場なのである。この時、今川館の周りは道灌の兵で固められていた。いつ何時、彼らが館の中に押し入ってくるかもしれないのである。盛時は龍王丸の命だけは守らなければならないのである。

ただ道灌は強引に力を行使することはしなかった。上杉政憲は一気に決着を図ろうと道灌を促すが、道灌は自制し、交渉で道を開こうとしていた。一方の伊勢盛時もまた、今、相手を説得し、龍王丸を当主の座に据えることは難しいと判断していた。無理を通せば、龍王丸の命を縮めることになる。それよりも、時間を稼ぎ、時を得て、反撃に移すことに軸足を移していたのである。

事実、龍王丸にとって、目障りな存在である小鹿範満を伊勢盛時は11年後の長享元年に、今川軍を率いて、討伐してしまうのである。伊勢盛時はこの功により、駿東下方12郷を与えられ、興国寺城に入る。戦国北条氏の基礎がこの時に築かれるのである。

道灌も小鹿範満と上杉政憲に提案する。「ここは今川家の当主を範満様とし、いつの日か、龍王丸様が当主にふさわしいと思われたら、当主の座をお返しするということでどうでござろう。」それに対して、上杉政憲が反対する。「そんな生ぬるいことでどうする。範満殿に当首の座を渡さぬのならば、ここは一気に、龍王丸殿の命の保障はないと迫るべきだ。それこそが乱世の今川家を救う唯一の道じゃ。」

このような時、突然に事変が起こる。駿河で、伊勢盛時と犬懸上杉政憲・大田道灌との間のし烈な駆け引きが展開されていた時、関東で異変が起こったのである。太田道灌の留守を狙い、山内上杉家で、景仲、景信と2代にわたり家宰を務めてきた長尾白井家の長尾景春が管領山内上杉顕定に対して、謀反を起こしたのである。扇谷上杉定正から早く関東へ戻れと言う矢の催促が届き始める。太田道灌は早急に駿河の問題を解決しなければならなくなった。

景春謀反の報は伊勢盛時にも伝わっているはずである。伊勢盛時は急に妥協の姿勢を見せなくなった。道灌は自分の考えを伝える。それは龍王丸君が成人するまでの今川家の差配は小鹿範満殿が行う。そして、龍王丸君の成人の暁には、家督を龍王丸君に戻すというものであった。この案に、伊勢盛時は安堵する。ひとまず、龍王丸君の命を守ることができたのである。しかも、龍王丸君が今川家の宗家であることも認知させたのである。一方、大田道灌も考えるのである。もし、小鹿範満殿に人望なり、手腕があれば、このような約定など問題にはならないはずだ。今川家を差配できる時間を与えたのだ。後は小鹿範満殿の問題だ。交渉はまとまり、道灌が座を去ろうとする時、盛時の声が響く。「関東にまた大風が吹きましたな。」道灌が振り返り、盛時を睨み付ける。盛時はあわてて、座を繕うような所作をした。

太田道灌の軍兵が関東に去ったある日、伊勢盛時は今川家中に申し送るのである。「私はこの約定の見定め人である。この約定通り、龍王丸君が今川家当主となる日まで、駿河にとどまるつもりである。これも将軍様のご命令でもある。」



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