太田道灌の話 “力の泉を求めて”

第九話 古河公方誕生

軍を進めていた公方軍に動揺が広がる。幕府軍によって圧倒された結城合戦の記憶がよみがえるのである。その動揺は兵士たちばかりではない。公方自身も、また、近習たちも広がったのである。近習の結城成朝、梁田持助、里見義実なども言う。「ここはひとまず古河に戻り、幕府軍に備えるべきです。」

古河に戻った成氏に、箱根を超えた幕府軍の先鋒、今川義忠の軍が鎌倉に侵入し、公方の館西御門邸を焼きはらったと伝えてきた。「もう戻るところはない。」成氏は寂しく言う。「幕府軍の後続も、これから関東に入ってくるだろう。」

成氏は下総の古河を新たな本拠とすることに決めた。古河には幕府の御料地がある。背後を固めるのはいづれも公方を支える小田、結城、千葉と言った面々だ。成氏は古河に城を築き攻め来るであろう幕府軍に備えたのである。そして、直ちに利根川沿いに防御線を引いた。これ以後、成氏を古河公方と呼ぶ。さらに言えば、享徳4年(1455年)7月、元号が康正に改められたのだが、成氏は改元に従わず、享徳年号を使い続けたことから、この内乱を享徳の乱と呼ばれるようになったのである。

成氏は忍、菖蒲、野田、関宿、羽生の諸城を整備し、直臣の簗田氏を関宿城に、野田氏を栗橋城に、一色氏を幸手城に、さらに佐々木氏を菖蒲城に置いて、幕府軍の進攻に備えたのである。だが、成氏は気がついていない。幕府軍の今川義忠軍は先鋒ではあったが、後続部隊が関東に来ることはなかったのである、そのころ、京都もまた応仁の乱前夜の不穏な動きが起こっていたからである。それは一方で、古河公方軍の推し進めた利根川沿いの諸城築城の時間を得たことにもなった。

扇谷上杉家では上杉顕房の子の上杉政真が跡目を継いだ。だが、幼少であるということで上杉持朝が後見役として、実質的に家督に復帰することになった。

この館の一室で、太田資清と資長の親子が話をしている。資清が言う。「どうやら、公方は500の今川勢におびえたようだ。」資長も言う。「でも、只木山に籠った義父の景仲様は救われました。」「そうだな。あのまま、あの軍勢で攻め込まれていたら、いかが、景仲様と言えども持ちこたえることはできなかった。」「それにしても、500の今川勢は大きな仕事をしてくれました。古河公方は利根川沿いに諸城を築き、そこを防御線としているようです。」「そうだ。そこを考えてみろ。資長。つまりは古河公方は利根川の南には攻めてこないということだ。あれだけ、強固な防御陣を造ったのだ。それに固執しているはずだ。」「それならば、父上、これはチャンスです。」「だがな、兵が足りん。絶好の機会だということは分かっていても、我が兵もこの間の戦いでずいぶんと傷ついた。残念だが、お館様も今動くことに消極的だ。」「兵ですか。兵のことなら、私に任せてください。それには少しお金がかかりますが、お願いできますか。」

資長が樋口兼信とともに日暮里玄蕃を訪ねたのは、それから間もなくのことであった。日暮里玄蕃は日暮里あたりを縄張りとする野武士である。荷駄を扱う者たちを束ねるのが本業だが、戦の手伝いもするし、旅人から通行料を獲ったりもする。そのような野武士の集団は幾つかある。彼らは彼らなりに横のつながりを持っている。

資長を見た玄蕃は懐かしそうな顔をする。あの1回の出会いでしか、顔を合わせていない。しかも、それはわずかな時間だ。それにもかかわらず、玄蕃は若い資長に興味をひかれていた。「お待ちしておりましたよ。若様が訪ねてくださることを。」玄蕃はどこか資長の来訪を期待していたようだ。玄蕃にしても、今の騒乱の状態をつぶさに調べていた。当然、資長が属する上杉家の形勢不利は伝わっている。資長が頼みに来ればそれ相当の金子を巻き上げることもできると踏んでいた。

だが、資長の持ってきた金子は玄蕃のもくろんだ者にはほど遠い。「これだけですか。」玄蕃はがっかりした様子でいう。だが、資長は明るい。「何を言う。お前は今の情勢を分かっていないようだ。扇谷にとって、最高の情勢になっている。それも棚から牡丹餅が落ちてきたようなものだ。見てみよ。公方軍は幕府軍の進攻を恐れ、利根川沿いに城を築いて、守りに入った。つまり利根川から南を我らにくれるということだ。だから、玄蕃にお願いしたいのは我らの進む先で、我らに歯向かう者が出てきた時に、手助けしてもらいたいだけだ。だから、今はこれで十分だろう。どうだ。」玄蕃は考える。資長の言う通りなら、我にとっても十分な利がある。公方側が利根川沿いにいくつもの城を築いているのも事実だった。だからと言って、公方は本当に利根川の南を手放すのだろうか。資長が言う。「もし、私の言うことが嘘で、公方軍が利根川の南の我らに攻め込んでくるようなことが有れば、玄蕃よ。少ないがその金子をもって、どこぞにとんずらしてもかまわん。どうだ。わしの頼みを聞いてくれんか。」「分かりました。ご助勢させていただきます。」「頼む。この礼は必ずする。」資長は玄蕃の腕をもっていた。

帰り道、資長は樋口兼信に言う。「これからの戦には金が要る。どこぞ、金の生る処はないか。」「金を生み出すところと言えば、浅草でしょう。あそこは荒川の河口で、秩父でとれる銅などの産品も、また府中の布も浅草経由で、京などに運ばれているのです。」「淺草か、今誰の差配地なのだ。どなたのと言うわけではありませんが、しいて言えば、そこに近い館を持つ江戸氏かと。」鎌倉時代の初期、隆盛を誇っていた江戸氏も今はその勢いがない。「どうするか?」資長は思案顔で、兼信を見た。

資長は父資清に兵の見込みは立ったと告げる。その上で、今後の戦略について、自分の考えを述べ始めたのである。「まず、我らで、武蔵の国を抑えることが重要かと思います。相模の国は上杉のお館様にお願いするとして、直接的に古河公方の軍勢とぶつかり合う武蔵は我らが担当しなければなりません。そこで、私は敵の主力の一つである下総の千葉氏を抑えるために動きたいと思います。荒川の河口付近を抑えることは重要です。何よりも淺草が手に入ります。」「淺草か。」資清も浅草の重要性は認識していた。「だが、あそこには江戸重広がおる。」「そうですね。江戸重弘殿はまだ去就を明らかにしていません。こちらにつくか。敵になるか。場所も彼我の境ときています。ですから、ひとまず、彼を支えるという名目で、品川に館をつくり、東への備えをしたいと思います。その後は江戸殿と連絡を密にしていきたいと思います。」「それではわしは西の備えに当たろう。川越あたりに城を築けば、平井城とのつなぎも楽になるだろう。」「そうです。そうなれば、中央の岩槻あたりに、もう一つ備えの陣が必要になりますが、まずは、武蔵を私たちの支配下にしなければなりません。」


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