太田道灌の話 “力の泉を求めて”

第五話 足利学校

足利学校での日常が始まる。庭では学生たちに樋口兼信が剣の稽古をつけている。剣術の腕前を見込まれ、しばしの間、師範の役割を担うことになった。剣術の稽古と言っても、基本の素振りである。全員が一斉に掛け声かけて、木剣を振るうのである。たまたま、それを見ていた兼信が学生たちの姿勢を正したことで、教えることになったのである。足利学校の敷地の周りには掘割がある。掘割の内側には小高い盛り土がなされ、そこに整然と松が植えられている。見た目の美しさだけでなく、防御の備えにもなっている。それは単に、盗賊の襲撃を防ぐためだけのものではない。いざとなれば、上杉家の軍事的な拠点ともなるのだ。学生たちもそのような時には学校を守る一兵士となるはずだ。そして、修学を終え、各地に戻れば、彼らには戦が待っているのである。

通常の授業は方丈の大広間で行われる。授業は庠主の快元師が儒教を中心に講義を行い、他の講師たちが易学や兵学まで教える。日冠も講師の一人である。講義をする日冠は驚くほど落ち着きに満ち、堂々としている。年が若いだけに学生たちからの信望も厚い。資長も若い学生たちに混じって、講義を熱心に聴いている。講義が終われば、学生たちの楽しみは食事である。ただ食事を作ることも学生たちの仕事である。方丈に続く建物の右隅に大きな土間があり、そこで調理を行っている。そこは学生たちの寮に近い。朝ともなれば、当番の学生たちが食事を作るために建物に入る。食事ができれば、まず、庠主さまから、そして、講師や学生たちの前に膳がおかれ、一緒に方丈の大広間で食べる。

ある日のことだ。この日は資長も当番で、米を焚いている。この土間の天井は驚くほど高く、煙が外へ抜けていく。見慣れぬ男が敷居の上からこちらを見ている。新しい学生なのか。気になるし、気にいらない。偉そうにするなと思う。資長が問う。「新しく入門した者か?」「いや。」「ならば、客か?」「うむ、そうでもない。気が向くとこちらに伺う。」「客でないならば、われらとともに働け。」その男はその言葉に素直に従う。怒ることもなく、うなずく。「うむ。一緒に飯を炊いてみたかったのだ。」変わった男だなと資長は思う。その男は皆の真似をしながら、器用に働き始める。決して慣れてはいない。初めてのことのようだ。だが楽しそうである。飯を一緒に炊きながら、その男は話す。「ここは良い。活気がある。長尾景仲様からお許しをいただいて、時々、参っている。それより、貴公こそ、新しい入門者なのか?」そのころになると、資長もその男も打ち解けている。見かけによらず気安い男のようだ。「これは失礼した。相模の国の国守上杉家の家宰、太田資清の一子、太田資長と申す。上杉様のお許しをいただき、入門させていただいた。」「そうか、どこか他の者たちと違うと思ったが、太田様のご子息か。私は下野(シモツケ)の佐野盛綱と申す。よろしく頼む。」

佐野盛綱は足利にほど近い佐野の荘を鎌倉時代から支配する佐野一族の御曹司である。兵学に興味があって、足利学校に通っているのだという。他の学生の多くが寮住まいなのに対して、彼は馬でくる。それができる距離なのだ。

佐野盛綱は話す。「関東は結城合戦の後、大きく変わってしまった。1年も続いた戦いが遺恨を生んだ。利根川をはさんで、東西が対立している。結城は負けたが、東には強力な小田勢が控えているし、南には千葉一族もいる。それに結城衆にしても、時が来れば、再び立ち上がるだろう。彼らは鎌倉以来の坂東武者なのだ。今の将軍も、これまでの将軍も、皆、将軍になれたのは関東武者たちの力によるものだ。それなのに、京の将軍は関東を見下している。鎌倉公方様さえも下している。本来なら、関東を差配する鎌倉公方様は京の将軍と対等の地位であるべきなのだ。鎌倉とはそれだけ武士にとって神聖な場所なのだ。そこに住まわれる鎌倉公方様こそ、坂東武者がお仕えする方なのだ。」

盛綱は話している相手が管領家につながる太田氏の資長であることに気が付いた。語気を弱める。それでも盛綱は話し続ける。「間違いなく、彼らは再び、結束し、時が来れば管領殿が支配する関東に一波乱起こすだろう。彼らは鎌倉の御代から続く御家人なのだ。将軍の家臣で、管領殿の家臣ではない。」「盛綱も御家人の末裔なのだな。」「そうだ。我が家は藤原の藤太を祖とする家柄だときく。」「すると、佐野の人たちも東側ということか。」「まあ、そうかもしれん。同じ下野(シモツケ)には小田と言う大豪族がいるのでな。敵対することもできまい。だが、わしは違う。こうやって、長尾景仲様の世話にもなっている。ただな。一応関東の武士なのでな。公方様の指図には従わねばなるまい。」少しの間をおいて資長が話す。「盛綱は誤解しているようだが、管領様も我らも、公方様の家臣じゃ。公方様の御指図で動いているのだぞ。」「いや、資長。聞こえてくることは違う。管領上杉憲実様は御後見と言う名のもとに、実質的に公房様を操っていると聞いている。」「それは公方様がまだお若いからだ。管領様も、公方様がご成人あそばした暁には、管領職も退き、公方様が自らご政道を行うことを望んでいる。」「そうか。わしらの勘繰りであったかもしれん。」盛綱はそっと空を見上げる。さりげなく話題を変える。少し言い過ぎたと感じたようだ。「それはそうと、資長、都合のよいときに、我が佐野の地に遊びに来ぬか。佐野の庄がどのようなところか、案内して進ぜよう。」

資長と兼信が馬を借りて、佐野に出かけたのはそれからしばらくたってからのことだった。
佐野は足利よりもはるかに開けている。この先には大豪族の宇都宮や那須7騎の支配する那須の山々へとつながっている。盛綱の屋敷からは唐沢山が迫って見える。盛綱が言う。「あの山は佐野の誇りじゃ。あの山でわれらは何度も救われている。もし、関東で戦が始まれば、当然、われらもその戦いに巻き込まれよう。その時には、資長、わしはあの山に城をつくるつもりじゃ。これは秘密なのじゃが、あの山は実り豊かな山じゃ。それに冬でも枯れぬ池がある。わしらはどのような大軍が来ようが、あの山に籠り、何年でも、この佐野の地を守りぬいて見せる。」盛綱はこれからできる唐沢山城の秘密まで漏らしている。それはつまり、資長にこの地に攻めてくるなと言っているのかもしれない。

そんな盛綱だが、二人を足利へ見送る道すがら、こんなことをぽつりと言った。「わしは足利学校にあこがれている。わしも学校のようなものをつくりたい。寺でもよい。若い人たちの集う場所をつくりたい。関東のいろいろな場所から若者が集まって来れば、それだけでも知恵や力が湧くというものだ。」盛綱が遠くに見つめていた中には、足利の北に当たる桐生の地もあった。盛綱の夢はその子孫に受け継がれる。一族の佐野正綱が桐生の地に仏印大光禅師を迎え、法徳寺を建立するのは、天正年間(1500年代後半)になってからである。

資長が鎌倉に帰ってから間もなく、資長に管領上杉憲実を通じて、縁談が持ち込まれた。管領自らが他家の家臣の息子の縁談を働きかけることは珍しい。それだけ、足利学校へも通うほどの勉学熱心な資長に期待してのことだろう。だが、突然の縁談話に、父資清は喜ばない。ありがたい話と思いながら、上から押し付けられるのを、ことのほか嫌がる息子の資長の顔を思い出していた。それになぜか足利学校から帰ってから縁談話に良い返事をしない。だから難題を持ち込まれたものだとため息をついたのである。もし、資長がこの話をけるようなことが有れば、扇谷上杉家の殿に対しても面目丸つぶれである。さらに言えば資長の将来も危ういのである。

屋敷に戻った資清が資長を呼び、恐る恐る話をし始める。「実はな、お前に縁談が持ち込まれた。」「はあ」いつものようにすげない。「良い話だ。」「はあ、」「この話は管領上杉憲実様から頂いたものだ。」資長の顔がますます暗くなる。「憲実様にご足労いただいたものだ。」もう資清は資長の気持ちなどかまっていられなくなった。資清は一気に話す。「相手は長尾景仲様の御息女で、都留姫様じゃ。」この言葉に資長の顔がぱっと明るくなった。「都留殿ですか!」資長の顔が喜色満面の様子に変わる。声も明るい。その資長の変化を見て、資清は驚いたように、ぽかんと口を開けた。



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