芭蕉のじいさん、旅に出る。


第22話 黒羽句会

大関家の城代家老浄法寺図書の屋敷に大関家の主だった家臣がすべて集められて、句会が開かれたのは芭蕉の浄法寺図書への提案からだった。大関家の家臣の不安を払しょくし、一同の気持ちを高め、一丸となって、敵に向かわなければならない。そのためには、句会は重要な働きをする。幸いにも、城代家老の高勝殿は桃雪という俳号を持つ俳人である。さらに弟の豊勝殿も翠桃という俳号を持ち、共に俳諧の道に進まれている。ならば、俳諧を通じて、家臣一同の気持ちをまとめ、事に当たることが最善である。

その日、空は晴れ、山間地の涼しい風が静かに流れていた。半信半疑の家臣たちを前で、家老浄法寺図書が立ち、話し始めた。「ここにおられるのは、私の俳諧の師で、蕉風を打ち立てられた芭蕉翁である。」芭蕉は静かに一同を見渡し、小さく頭を下げる。「過ぐる日の、お世継ぎ問題でわが藩が苦しんでいた時に、わが江戸藩邸にて、今と同じように句会を開いていただき、那須の御神霊を江戸藩邸に招き入れ、それからしばらくして、幕府からお世継ぎのご認可をいただいたという経緯がある。師も言われているのだが、句には、心を込めて発句することで、自然界の力と融合し、神のお力を得ることができる。そもそも、俳句にはそのような力があるのだ。」図書はここで一息つく。

図書は続ける。「さて、皆々の中には俳句と言うものを存じていない者もおろう。俳句を詠む約束事には、季語を入れ、五七五の拍子をそろえて表現するというものがある。しかし、今日の句会は師にもご了解をいただき、そのような縛りはすべて、なくし、今の貴公らの気持ちを率直に述べてもらえば、それでよい。」芭蕉が頷く。「今、わが藩は、あのお世継ぎ問題との時とは比べようもないほどの危機にある。しかも、今回の危機には、貴公らの働きが絶対に必要なのだ。福原館を中心に、那須家の旧臣たちが、隙あれば、わが藩の乗っ取りを企んでいるのだ。騎馬奉行の大石殿は、その犠牲になられた。その悪行を断じて許してはならん。その気持ちを込めて、今回の句会は、我らの決意を神に告げるものだ。ゆめゆめ、一語とも軽んじてはならん。一語一語に自分の気持ちを込めろ。真摯であればあるほど、神に通じる。その上で申し上げるのだが、句会には句会の掟がある。これは句を披露するものに対して、決して、やゆしたり、嘲笑したりしてはならぬ。句を披露する者の気持ちを感じることが大事なのだ。これを連句法と言う。まして、今回は俳句自体を知らぬ者も多い。この連句法の作法は絶対に破ってはならぬ。俳句は言葉遊びではない。言葉を通して、神に自身の気持ちや感じたことを伝えることである。」

「まずは、私から参ろう。」と浄法寺図書が短冊と筆を持ち、声高々に、決意を披露した。次々に、家臣たちが立ち、自分の決意を述べ、それを短冊にしたためていく。鹿子畑豊明も立ち、朗々と句を詠み、翠桃と結んだ。「翠桃とは何だ。」という者もいたが、「翠桃とは芭蕉翁よりいただいた俳号です。」と説明して、そのような名があるのかと誰もが荘厳な気持ちになっていた。句会は続き、誰もが敵に負けない気持ちを披露した。大関家を守るために、覚悟を示したのであった。浄法寺図書は満足そうに、一同を見渡した。そして、師の芭蕉を見た。芭蕉はうなづき、ゆっくりと立ちあがると、普段の芭蕉翁の声とは思えぬほどの、良く響く声で句を詠み始めた。

山も庭も 動き入るるや 夏座敷  芭蕉

一同は芭蕉の句を聞き入っていた。そして、一呼吸おいて、芭蕉は続ける。「皆様の気持ちが那須の御神霊に届きましたぞ。今、神の息吹が、この山々や、このお庭に、さらに皆様のいらっしゃるお座敷に至るまで流れ入り、私たちを包んでおりますぞ。」確かに、気持ちの良い風を誰もが感じていたのである。


句会が終わり、誰もが肩をいからせて、門を出てきた。これから御城内で、福原討伐の軍議が開かれる。その持ち場が割り当てられることになる。だが、誰もが、気をみなぎらせ、これから向かう戦場へと心が高揚していたのである。

句会に参加していたすべての人たちが、主催の浄法寺図書を含めて、屋敷から出ていったあと、芭蕉は浄法寺屋敷を後にした。御門脇には権蔵が待っていた。「先生、お疲れでございました。」「おお、権蔵、待っていてくれたのですか。」「そりゃ、あっしは先生の護衛ですからね。それよりも、先生、あっしを、その俳句とやらのお弟子にしてくれませんか。」「弟子にするのは良いが、また、どうしたのだ。」「いえね、あっしが先生の護衛役だと言うと、ご家中の方々の目が違うものになったんですよ。いままでなら、何か、殺生をする卑しい者と言うような眼で私を見ていたんですが、今日は違うんですよ。“先生を、しっかりお守りしていてくれ”などと言ってくるんですよ。先生はそんなに偉い人なんですか。」「ははは、」と芭蕉は笑う。「偉くはないが、わしには自然と一体となる力が備わっている。」芭蕉自身も高揚した気持ちを誰かにぶつけたくなっていたのであろう。

その時、早馬が芭蕉たちの横を走りぬけていった。「お城に向かうようだ。」芭蕉が早馬の行く先を振り返りながら言った。「あの旗指物の色は烏山城からのお使者だ。」そして、それはそうとと権蔵は話し始めた。「先生のお弟子さんの曽良さん。昨日、烏山城に行かれましたね。」「ほう、そうかね。」「先生が、今日の句会の準備のために、浄法寺様のお屋敷にお泊りになることになったので、あっしは鹿子畑様のお屋敷に戻ることになりました。その途中、曽良さんとすれ違ったですよ。曽良さんはとても急いでいるようで、あっしに気が付かなったようですけれど、夕暮れも迫っていたし、先生のお弟子さんに万が一のことがあったら、あっしの役目は果たせないと思って、ひそかに、後を追ったんです。でも、曽良さんの足の速いこと速いこと。平地ではとても追いつけない。でも、山道に入れば、あっしは誰にも負けねえ。山を知る人間には特別な道があるんでさ〜。それで、山下の道を歩く曽良さんを見て、思ったんでさ〜。曽良さんは烏山城下に向かっていると。城下の灯が見えるあたりまで、目で追っていたんですが、たぶん、大丈夫だろうと思って、戻ってきたんです。」「そうかい、曽良さんは、烏山藩との交渉に行ってくれたのか。」

そのころ、黒羽城の大広間で、家老浄法寺図書の声が一段、高くなった。「句会の成果がさっそく現れたのかもしれん。那須大権現の加護を得た。今回の掃討戦の最大の気がかりであった烏山藩の御助成を得ることができた。今、使者が来て、明朝、我らとともに掃討戦に動くとのことであった。」黒羽城内に大歓声が上がった。



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