芭蕉のじいさん、旅に出る。


第18話 那須一族の怨念

曽良は夜半になって戻ってきた。曽良は箒川を超えて、福原館の周辺、さらに玄成寺あたりまで出向いて、その様子を探ってきたのだ。そして、今回の騒乱の原因が旧烏山藩の那須一族の怨念によるものであることを突き止めた。どうして、那須一族が自分の命までねらうのか。曽良なりに考えた結論は幕府の裁定に逆らう彼らの行動を幕府に知られてはまずいということだろう。どこでどう間違えたか知らぬが、私を幕府の目付と勘違いして、目付けが究明に向かってくるとでも思ったのだろう。それで、私を亡き者にしようと考えたに違いない。今回は特別な計らいで大目付様から鑑札を頂いたが、それが災厄を呼んだかもしれない。ただ、そうであるならば、黙っているわけにはいくまい。大関家を守ることもさることながら、福原殿と呼ばれる1派の動きを根絶せねばなるまい。幸い大目付様の鑑札を持っている。これを使って、烏山藩を動かすことも可能かもしれない。曽良はそう決断をした。もちろん。磯山格之進がそのような意思で曽良に立ち合いを求めたのではない。しかし、曽良はそう推測し、それと断じたのだった。

帰ってきた曽良に、芭蕉が待ち構えたように言いだした。「曽良さん、大変だったんだよ。豊明さんが二人の浪人者を捕まえに行ったんだけど、その捕物中に、この家の郎党の伊之助さんが切られてしまったんだよ。」実をいうと曽良はすでに、そのことを知っていた。切られたのが伊之助であることは知らなかったが大関家中の若党が一人切られたらしいということは、その様子を見ていた者から聞いていた。しかし、そのことを芭蕉に言うわけにはいかない。「それは大変でしたね。鹿子畑殿もさぞ、ご心痛でしょう。」「そうなんだよ。ただ、幸いなことに伊之助さんの命には別条ないようだよ。」「そうですか、それは良かったですね。」

その時、廊下から豊明の声がした。「夜分に申し訳ありません。曽良さんが戻られたとのことで、少しよろしいでしょうか。」障子があいて、豊明には、一人分の夜食を持った女中が従っていた。そして「食事はすまされましたか。」と聞く。曽良は思わず笑顔になり、「腹を空かせて、困っていたところでした。」と感謝の言葉を述べた。

曽良が食事を終えたころに、豊明が話を切り出した。「芭蕉翁によれば、曽良さんは、河合宗五郎と言う名の武士で、しかも一刀流の皆伝の腕前と聞きました。そこを見込んで、私たちに助力をお願いできないでしょうか。実は戦国の世、那須地方は那須本家を中心に、結束し、外敵からこの地を守ってまいりました。従って、そのような時には大関家は那須家の指示に従う立場にありました。徳川様の御代になり、数年前までは上那須を那須家が、下那須を大関家が支配地として分け合っていたのです。しかし、那須家は相続問題で、お上からおしかりを受け、廃絶のご下命を受けました。以来、殿様は箒川の向こう、堀川の屋敷に蟄居することになったのですが、一族の那須資岳と言う者がとんでもない要求を我らに突き付けてきたのです。そもそも大関家は那須家の家臣である。那須の領地は那須家のものだ。ならば、大関家の領地を那須家に譲れ、その一歩として、那須資寛様を大関家の世継ぎとして、幕府に申請せよという無法なものでした。ご存知のように、わが主、増恒君はまだ幼少です。しかも、お身体はご丈夫ではない。そこをついての申し入れであると思われます。もちろん、そんな申し入れは拒絶すればよいだけの話なのですが、資岳め、腕に覚えのある暗殺団を城下に送り込み、強硬に反対する者たちを脅し始めたのです。まず、血祭りにあげられたのが騎馬奉行の大石殿でありました。剛毅な方でありましたので、油断もあったのでしょう。那珂川の河原に惨殺体となって発見されました。以後、こちらも気を付けておりますので、殺されるということはありませんが、しばしば襲撃を受けています。さらに最近は、馬庭念流の凄腕の浪人が加わって、取り締まる我らをせせら笑うありさまで、今日も数を頼んで、奴らを追い詰めたのですが、無念にも、我が家の伊之助が切られる始末となってしまいました。そこで、曽良さん、どうか、我らを助けると思って、ご助力をお願いできないでしょうか。それに、今朝ほどは榊殿の危機をお救い下されたとのこと、これもご縁、なにとぞ、我らにお力添えをお願いしたい。」曽良は芭蕉の同意を得るように、師匠の顔を見て、それから、「私のような者で、お役に立つならば、助力いたしましょう。」と言った。芭蕉も自分を守る者がいなくなるが、今回は仕方がないと納得した。師匠の思いを察知して、曽良がそれを言うと、豊明は「明日からは彦造を連れて行かなければなりません。師匠の護衛役を兼ねて、権蔵を案内役とさせますから、ゆっくり、黒羽の地を楽しんでください。」豊明が部屋から去ったあとで、曽良は芭蕉が「権蔵が護衛ねえ。」と小さなため息をつくのを見た。

曽良は鹿子畑家の家人に頼んで、髪結いに来てもらった。これまでの町人風の髪型から、月代(サカヤキ)を剃って、武士らしい髷に縫い直してもらうためだった。それは曽良には一つの思惑があったからだ。烏山藩に大目付の者だと言って、交渉するためには、それなりの体裁を整えなければならない。少なくとも、髪型だけでも直しておかなければならないと考えていた。だから、今回、鹿子畑豊明から受けた要請は髪型や身なりを変える良い機会となったのである。曽良は豊明の袴なども借り受けることにしていたのである。さっぱりした様子の曽良を見て、芭蕉も髪結いに自分の髪も少し切ってくれと頼んだ。普段なら、伸びた髪は自分で手入れをするのだが、やはり、曽良さんの頭髪の様子を見ると、職人技は違うと感じたのである。「江戸者は小粋にしなければ」と言いながら、曽良の去った髪結いの前に座った。

黒羽城下を芭蕉は、あの権蔵と二人で歩いている。本来なら彦造が案内するところなのだが、伊之助が切られ、大けがを負ってしまったので、代わりに彦造が主人の豊勝の補佐に回った。それで、芭蕉の案内人兼護衛係に選ばれたのが、権蔵だった。権蔵も嫌がったのだが、無理に断れば、断る理由を問い詰められそうで、仕方なく、引き受けたのである。「芭蕉の先生。くれぐれも日光でのことはご内密にお願いしますよ。」権蔵は二人になると芭蕉に念を押した。「しっかり、案内してくれれば、私も目をつぶりますがね。いい加減なことをすれば、私にも考えがありますよ。」と芭蕉も脅しておくことを忘れない。「と、とんでもない。せい一杯、お世話いたしますよ。」二人が最初に向かったのは、大関家の菩提寺である大雄寺であった。正式には黒羽山(くろうさん)久遠院(くおんいん)大雄寺(だいおうじ)と言い、長い緩やかな参道が芭蕉の心を落ち着かせていた。

そのころ、堀川館から送られてくる暗殺隊の影を追って、鹿子畑豊明率いる一団が領内を巡回していた。そして、その最後尾には武士姿に身を変えた曽良が、さらに、その後ろを息を切らしながら彦造が走っていた。曽良は騎馬の上げる土ぼこりを避けるために、鼻と口を手拭いで覆っている。髪型も変え、身なりも武士らしくなっている。一目ではこれまでの曽良とは別人である。彼らは黒羽城下近くで待機していたのだが、箒川近くの村に、やくざ者の集団が暴れているとのことで、急行しているのである。「昨日のこともある。いつでも逃げられるように、堀川近くに出没したのだろう。」豊明はそう言った。一団の地風吹が近づいて来ると、道行く人達も、砂塵を避けて、物陰に隠れ、一行を見送ることになる。その一人に、鳥追いのお藤もいた。「あれ、」お藤は一団の武士の中に曽良さんに似ている人がいると思った。そう思いながら、お藤は自嘲気味に笑う。「町人の曽良さんが武士になっているわけがない。似ている人を見るとみんな曽良さんになってしまうんだから。私って、本当にどうかしている。」しばらくの砂塵をまき上げながら去っていく集団を見ていたが、お藤はつぶやく。「でも、気になるなあ。」お藤の足は自然と集団の去っていく方向に向かっていった。



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