芭蕉のじいさん、旅に出る。


第7話 室の八島

壬生の町で一行は別々の行動をすることになった。芭蕉と曽良は芭蕉の望みで、室の八島へ、絹さんは壬生の町に住んでいるという親戚の家を訪ねることなり、紀文は商人の神様である金売り吉次の墓もうでをするのである。芭蕉はこの際であるから、ここからは別々の旅をしても良かろうと思っていたが、曽良は「絹が心配だ。」と言い、紀文は芭蕉に念を押していた。「分かっていると思いますが、私は無一文になってしまったのですから、ここから日光までは私の面倒をしっかり見てもらわなければなりませんよ。」と言って、譲らない。こうして、一行は、それぞれの目的を果たしたら、とりあえず、壬生のお休み処で待ち合わせることにした。

芭蕉と曽良は果てしなく続く田畑の中を進む。早稲田の田には早くも生えそろった緑の穂先が風になびいている。遠くにこんもりとした森が見える。「あそこが室の八島ですよ。」芭蕉が曽良に言う。室の八島は下野の国の惣社で、神様は大物主命(オオモノヌシノミコト)、大和の国の大神神社から分かれたと伝えられている。芭蕉の敬愛する西行法師の時代には、多くの文人がここを訪れ、“けぶりたつ室の八島”を枕言葉にして、歌に詠みこんだほどに、東国有数の名所として名高いところであった。

近づくと杉並木があり、その葉陰にがっしりとした大鳥居が見え、その奥にこけら葺きの社殿が鎮座している。広大な社域の割には、社殿は明らかに小さい。社の森の中には八島と言われる所以となった大小の沼や池が散在し、地下から湧きだした暖かい水が森の冷気に触れて、湯気となって立ち上り、煙のように森全体を包んでいる。芭蕉から“けぶりたつ”という枕詞が自然に口の端にのぼる。あたりは日の光で、糸遊、陽炎がキラキラと光る。
“糸遊に結びつきたるけぶりかな  はせを”

芭蕉が学識のある所を披露する。「その昔、源実朝という方が読まれた歌があります。“眺むれば寂しくもあるか室の八島の雪の下萌え”」曽良も感心したようにつぶやく。「下萌えですから、ちょうど今頃の季節を詠んだものかもしれませんね。そう思えば、このなんでもない風景が雅に感じますね。」芭蕉は曽良のなんでもないというところにひっかかったが、黙っていた。芭蕉にも、古代の名所として、心躍らせて。この地に来たのだけれど、思いのほかに寂れていて、わずかに名残を残しているだけのようにも見えていたのである。だが、実朝の歌などを思い出すと心が古の昔に飛び立つのである。目をつぶれば、西行法師が琵琶を打ち鳴らすのである。この感覚は曽良さんにはわかるまい。芭蕉は一人で、乙にいるのである。

だが、曽良も負けてはいない。「この社の祭神はこの花さくや姫というそうです。とてもきれいな女の神様なのです。この神様は富士山の化身ともいわれ、木の花さくや姫様が操の証しのために入り口を塞いだ産室にこもり、炎が燃え上がる中で火々出身のみこと(ヒビデノミノミコト)をご出産されたと伝えられています。そこからこの場所を室の八島と言うようになったのだそうです。私も師匠と旅をするにあたり、色々調べてきましたからね。」「そうですか。」芭蕉は意地悪く質問する。「それでは火々出身のみことという神様はどういう人なんですか。」曽良はあわてて、隠していたメモを捜す。しかし、そのメモにはそこまで書かれていない。だから、「富士山の子供ですから、これから行く奥州の吾妻小富士ですかね。」などととり繕う。メモに書かれていた吾妻小富士が目に留まったからである。

壬生の待ち合わせ場所につくと、すでに紀文と絹は待っていた。絹には見知らぬ老夫婦が付き添っていて、紀文が何か絹に言うたびに、絹と老夫婦の目から涙が流れだしていた。遠くから、この様子を見た芭蕉は紀文がまた絹を泣かせていると思った。紀文は昔から人の気持ちなど考えずに喋り捲る男なのだ。芭蕉と曽良が近づくと、絹が立ち上がって、頭を下げた。「芭蕉さん、曽良さん、ありがとうございました。父と母は壬生の親戚の家に身を寄せていたのです。」そして、付き添っている二人の夫婦を「父と母です。」と紹介して、3人同時に頭を下げた。状況を理解した芭蕉と曽良が笑顔を造る。紀文のように、喜ばしいことに涙は流させたくないのである。「よかった。よかった。」と絹と彼女の二親を見比べながら、頷くことを繰り返した。紀文はこれまでに十分に絹から話を聞いていたらしい。「師匠、絹さんはこれから、ご両親と壬生で暮らすことになりました。親類の方も快く受け入れてくれたようです。壬生は間々田のように洪水の起こることもないようですから、両親と幸せに暮らしていけるでしょう。」

絹と別れた一行は3人となり、例幣使街道に入る。京の朝廷は日光東照宮に毎年勅使を派遣しているのだが、その勅使の最も重要な仕事は東照宮に幣物を奉納することで、そのために、その勅使を例幣使と呼ばれている。その一行が京都から中山道を通り、楡木で、壬生通りと合流し、日光まで行く道を日光例幣使街道と呼んだのである。一般的には壬生通りと例幣使街道を総称して、日光西街道とも言われている。

一行が鹿沼宿に差し掛かるころには、日も暮れ始めていた。「壬生で時間をとりましたから、今日はこの宿で、休みましょう。」曽良が宿を探しながら、他の二人に言った。鹿沼を過ぎれば、日光へと続く深い山道が始まるのである。「そうだね。」芭蕉も今日は疲れを感じていた。そんな状態で、山賊さえでてきそうな山の夜道を歩きたくはなかった。紀文はにこにこしているが、一言もしゃべらない。どのようになるにせよ、二人についていく以外にないからである。

鹿沼宿の最も安そうな木賃宿に一行は入った。こんな木賃宿だから、布団もなく、食事もない。昨夜の豪遊とは雲泥の差なのである。途中の茶店で買い求めた握り飯を食べ、曽良と紀文は紙子と呼ばれる薄っぺらい掛具を体にかけて、横になった。それは曽良が自分のために持ってきたもので、紀文は紙子さえ用意していなかったのである。そんな旅になるとは想像もしていなかったからである。「曽良さんや、何だね。ずいぶんと寂しい旅だね。こうなると分かっていたら、絹さんのために12両も出すことはなかったですね。」皮肉を込めて紀文は、すでに一人で紙子を被り寝ようとしている芭蕉にも聞こえるように言った。曽良は紀文の言葉を無視したが、芭蕉の声が聞こえてきた。「紀文さんや、あれは功徳だよ。これからもっといいことが起こりますよ。」紀文は恨めしそうに、「そうですかね。」言いながら、旅の疲れで、すぐに爆睡していった。


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