芭蕉のじいさん、旅に出る。


第5話 間々田
渡し船の中で、紀文は誰もが緊張した面持ちであることに驚いた。「師匠、何があったんですか。」と芭蕉に聞く。唯一、聞けそうな顔をしていたのが、師匠の芭蕉だった。芭蕉は絹にも、他の旅人にも聞こえないほどの小さい声で、これまでのいきさつを紀文に話した。紀文という男について説明しておこう。紀文というのは通称で、正式には紀伊国屋文左衛門という。嵐の海の中を紀州から江戸へとふいご祭りのための蜜柑を運び、大儲けをした人である。その後も木曽の木材などを扱い、今では、江戸の豪商として、奈良屋茂左衛門と並び称されるほどの大商人になっていたのだが、芭蕉は梅乃を通じて、紀文と付き合いがあった。そのころの紀文と言えば、まだ名の知られていない小商人であったのである。時が経ち、紀文は財を成すに従い、いつか、江戸の蕉門会にも入り、俳諧の弟子にもなっていた。そして、今回の紀文の旅は、奈良屋が手掛けているという日光東照宮の修理工事をこの目で見ておこうというものであり、いつか幕府の大工事を手掛けようとする野心からでもあった。そして、もう一つの理由のほうが紀文らしいものだった。この旅は日ごろの窮屈な大店の主から脱して、昔の一人旅の気ままな旅を味わいたいというものだった。その欲求が満たされる旅になりそうなのである。紀文は俳諧の師匠の芭蕉一行に同行するためだと店の者たちを説得して、こうして、一人旅が実現できたのである。

紀文は絹が梅乃と仲が良かったことを知って、親しみも覚えたようだ。「絹さん、ごらんなさい。筑波山があんなに近くに見えますよ。」絹は紀文の指さす方向を見上げた。確か、故郷の間々田からも筑波山がこれくらい大きく見えた。間々田はもうすぐなのだ。それを思って、絹の目から涙がこぼれた。絹を泣かせたと勘違いした芭蕉が紀文を睨んだ。要らぬことを言うなと目が怒っていた。

4人となった一行は利根川を渡り、城下町古河に入る。古河は老中職を歴任する松平家の城下町である。これまでの宿場町とは違い活気にあふれている。曽良さんの情報によれば、先代の殿様が老中就任した翌年のことである。幕政を批判していた陽明学者の熊沢蕃山が蟄居処分を受けた。古河松平家は功に焦り、率先して、その身柄を預かったのは良いが、蕃山が不遇のうちに死に、その怨念が、今のご城主、松平忠之公に乗り移っているといううわさが立っているのだ。「面白いじゃないか。曽良さん。その怨霊の乗り移った殿様というのを一度、見て見たいものだね。」「面白くないですよ。師匠。気の振れた人を見ても楽しくありませんよ。それに、実際は今のご老中たちを批判して、逆鱗に触れたというところが真相のようなのですから、変なとばっちりを受けてもかないませんよ。」二人のやり取りに、それどころではない絹さんが居て、それを感じた紀文が二人の間に入って、「まあ、まあ、絹さんのこともありますから、間々田に急ぎましょう。」と口をはさむ。こうして、芭蕉の殿様見物の話は立ち消えとなったのだが、曽良はこんな師匠の芭蕉を見て、この先の旅が思いやられると一人口たのである。

間々田宿は江戸日本橋から数えて11番目の宿である。旅が活発になる江戸の後期ともなれば、本陣、脇本陣のほかに、旅籠も50軒もあったというから、城下町の宿場である古河と宇都宮の間にあって、それなりに繁栄した宿になっていたと思われる。もちろん芭蕉一行が歩を進めていたころでも、本陣、脇本陣など、それなりの体裁を整えていたことは間違いない。

間々田についた一行は、とりあえず、絹の実家を目指すことにした。絹の話によれば、実家は思川沿いの農家だという。日光街道から外れ、まだ田植えも始まっていない寒々とした田園が荒れ地のように広がっていた。ススキなどが枯れたままに、芽を出し始めたばかりの春の若草の上で、風に揺れていた。絹は10年前の村の様子とは違うと言った。たぶん、絹が経験した洪水で、村の様子が一変したに違いない。絹は「この辺なんだけど・・。」と言いながら。捜し歩く。一行は所在投げに、絹の後を歩く。絹の顔が曇る。たぶん、絹が住んでいた家は洪水で流されてしまったままなのだ。その後で、絹の両親が建てた家を絹が知るはずもないのである。地形も変わり、点在する家々も変わっていた。

芭蕉と紀文は小高い八幡様へと続く階段の下に腰かけて、あたりの風景に心をはせている。絹と曽良が近くの農家に、洪水後の様子を聞きに行った。遠くを歩く曽良たちが見える。絹は危なげな足取りだ。その様子を見て、芭蕉と紀文が顔を見合わせて、笑った。そして、その後方の神社の境内から少し外れた藪の中で、芭蕉や紀文、さらには遠くを歩く曽良と絹を監視し続けている二人の姿があった。あの栗橋で襲撃してきた江戸のやくざ者たちだった。

兄貴分が弟分に言う。「やっぱり、間々田に居やがった。だが、あの俳諧の連れは強え。俺はこれから、この地を縄張りにしている龍神一家の親分に助っ人を頼んでくる。お前は、あいつらを見張っていてくれ。いずれにしても、勝負は明日だ。あいつらの落ち着き場所を見届けたら、間々田宿に戻ってきてくれ。」

曽良たちが戻り、近くの農家の話によれば、元の村人たちの多くが離散したと言う。絹の両親もしばらく、再建のために働いていたが、翌年に、稲は実らず。途方に暮れた村人たちの何人かが、村を捨てた。絹の両親もまた、その中にいたと言う。「わ〜。」とここで絹が泣き出した。これまで、必死にこらえていた涙があふれ出てきたのだ。絹の両親たちがどこへ行ったのか、村人の誰もが知らなかった。

一行はとりあえず、間々田宿に戻り、宿をとることにした。草加宿とは違い、今回には、紀文という金づるがいる。本陣、脇本陣というわけにはいかないが、それらに準ずるような立派な宿に入った。食事も豪華で、川魚や山の幸が食前に並べられた。紀文を除き、誰にとっても、夢のような食事である。あの曽良でさええ、「これはごちそうだ。」と思わず口にしたほどである。だから、芭蕉ははしゃぐ。食べることに夢中である。腹が満ちて、一息ついたときに、誰もが絹の膳に目が行った。ほとんど口にしていないのである。その理由を誰もが知っているから、誰も口にしない。もし、誰かが絹を慰めようとしたなら、そのとたん、絹の中にため込まれた涙がどっと出てきそうなことは分かっていた。ただ、誰かが言わなければならないことがあった。曽良が言った。「絹さん、これからどうするね。」
芭蕉も紀文も、絹の口元に目を注ぐ。芭蕉の「ついでだから、私たちと一緒に、日光もうでに行くかい。」という能天気な暖かささに、場が和むのである。



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