芭蕉のじいさん、旅に出る。


第2話 千住
芭蕉が杉風の別邸から旅に出る日となった。芭蕉が懇意にしている船頭、甚平の船が深川まで迎えに来た。これから千住まで船で向かう。桟橋沿いの堤の上では、其角や去来など、江戸の蕉門に名を連ねる人たちが大勢、別れを惜しんでいた。何しろ、この旅の行く手は奥州である。今生、再び、顔を見せあうこともかなわない土地である。それを覚悟した旅なのである。船には芭蕉と杉風が乗っている。杉風は千住まで見送ることにしたのである。何といっても杉風は江戸での蕉門を束ねる、芭蕉の後ろ盾なのである。

船は別れを惜しむ人たちの声で、何度も、出発の時を失った。その時、息せき切って梅乃がやってきた。かなり慌てた様子で、「待って、芭蕉さん、待って、甚平さん、待って。」と船を止める。そして、梅乃の後には、これも息を切らしている娘がいた。

鮒べりにとりついた梅乃が見上げるように、芭蕉に懇願する。「芭蕉さん、お願い。このお絹ちゃんを間々野まで、連れてって。」迷惑気な顔を浮かべた芭蕉に梅乃は言い放つ。「芭蕉庵を買って、旅の費用を工面したのは私よ。これくらい聞いてくれても、いいはずよ。」こうして、船上には、芭蕉と杉風とお絹という3人になった。「ようござんすか。」甚平の、“もういい加減してくだせい!”という気持ちの含まれた低い声が轟いて、船はやっと岸を離れた。堤の上からは多くの人たちの歓声が飛んだ。そのたびに芭蕉は振り返り、振り返りしながら、手を振って応えた。蕉門という俳句の流れは江戸で生まれたのである。船は小名木川を下り、大川へ出る。上流に船は漕ぎ出し、隅田川を上る。

船の上で杉風は言う。「曽良さんは深川からご一緒ではないのですか。」それに芭蕉は意に反することだと思いながら、「曽良さんは千住で、合流します。なんでも、その方が都合が良いとかで、千住河原町の茶店でお待ちしますと言付けがありました。」

船が浅草石戸神社あたりに近づくと、そこにはお銀と太一が待っていた。二人とも江戸で親しくなった者たちだ。川べりから、二人して、大声で、芭蕉に向かって何か言っている。何を言っているのか聞こえないので、芭蕉も、彼らに合わせて、口をパクパクさせていると、遠くで、お銀が袖口で涙を抑えているのが見える。口をパクパクさせているだけの芭蕉を船頭の甚平が睨んでいる。芭蕉はその気配を感じて、大声でどなる。「元気で暮らせよ。」あまりに突然に大声を出したので、芭蕉はゲホゲホと咳き込む。苦しそうなので、杉風が芭蕉の背中をさする。その姿を遠くから見たお銀は、芭蕉が別れを惜しんでむせていると見えた。そして、「わ〜っ。」と船にも聞こえるほどの大声で泣き出した。

船は千住大橋のたもとに横付けされた。そこは千住河原町である。朝早い時であれば、「やっちゃ。やっちゃ。」と近くの青果市場での仲買人たちの掛け声で、活気にあふれた場所なのだが、芭蕉たちが船から降り立ったころは、その喧騒も終わり、やっちゃ場は静かな時間になっていた。

船着き場で芭蕉を下した甚平の目に涙があった。これから3000里もの長い旅が始まるのである。この世は夢幻のように儚いものだといえども、別れはつらいのである。早くも渡り鳥の一群が北に向かっている。涙もろくなっていた船頭の甚平の目には涙が光っていた。その甚平の落とした涙の先で、一匹の魚が川面をはねた。
「行く春や鳥啼き魚の目は涙」芭蕉は発句する。

川べりから堤に上がると、隅田川の流れが光る。別れを告げた甚平の船が静かに下っていく。堤を上がると茶店には曽良さんが茶を飲みながら待っていた。曽良さんの隣には不似合いほど立派ななりをした武士がいて、曽良さんと軽い談笑を交わしていた。芭蕉が感じるほどに厳しい旅とは、曽良さんは感じていないようであった。旅姿にそれを感じさせない。その頃の長旅をする者の出で立ちと言えば、菅笠をかぶり、荷物を入れた行李を肩に掛け、手甲脚絆をつけて、合羽を着、草鞋を履くというものだったが、まず菅傘を被っていない。3尺手拭いを頭に結んでいる。合羽も小折にいれているのか、軽装なのである。それでも同道することになったお絹さんの旅姿に比べれば立派なものだ。お絹さんの旅姿は小折を一つ持っただけの町姿なのです。これで旅に出るかと詰問しようとする芭蕉に見送り人たちが群がり始めた。旅と真摯に向き合っているのは私だけではないか。静かに芭蕉は舌打ちをする。

曽良さんが芭蕉の到着を見て、立ち上がろうとしたときに、二人の間に割り込むように、芭蕉へ別れの言葉をかけた侍たちがいた。黒羽大関藩の人たちで、ほとんどが芭蕉の門弟達だった。代表して、江戸留守居役が惜別の音葉を述べ、餞別を渡し、さらに、黒羽の国家老、浄法寺高勝宛の文を芭蕉に託したのであった。芭蕉は言う。「このたびの発端は仏頂禅師のお誘いからですから、もちろん、黒羽にはお伺いしますよ。高勝殿にお会いするのも楽しみです。」思いもかけぬ餞別をいただいたので、芭蕉の言葉もなめらかになった。

芭蕉と曽良とお絹の3人は大勢に見送られて、千住掃部町、さらにそこから続く千住宿を1丁目から北に歩き出す。芭蕉は宗匠頭巾に頭陀袋、素足に草鞋といういでたちである。

芭蕉は何度も、後ろを振り返る。見送る人たちはまだそこにいて、芭蕉たちに手を振っている。芭蕉の江戸の門弟たちも加わり、見送る人たちの数を膨らませていた。芭蕉が何度も後ろを振り返ったのには理由があった。別れを惜しむ気持ちもあったが、皆から贈られた荷が重すぎた。曽良さんにも幾らか持ってもらったが、多くの人が旅に役立つはずと要らぬものまで持ち寄ったのた。おくりびとの気持ちを考えれば、荷物が多くなることも仕方がないことだった。その中には太一のくれた小さな招き猫もあった。「きっと、幸運をもたらすから。」とお銀は言った。それにしても少し重いのである。旅慣れてくれば何とかなるとは思うものの、旅初めには堪えるのである。だから、一息つくこともあり、そのたびに、後ろを見ると、見送る人たちはまだ立ち去らず、手を振っているのである。「あれ、まだいますよ。」芭蕉は手を振り返す。それにしても千住の宿は長いのである。そして、突き当りが二つに分かれ、追分となる。右へ行けば水戸街道、左に行けば日光街道である。

杉風たちは芭蕉一行が追分近くなり、豆粒ほどになったところまで見ていた。千住宿はそれほどまっすぐなのである。そして、一行が左に折れ、姿が見えなくなると一息、寂しさを吸い込んで、千住大橋を渡り、江戸へと戻っていった。杉風は蕉風門下の人たちと一緒に山谷堀近くまで、歩くことにした。その辺で吉原からの戻り駕籠を捕まえて、日本橋の店まで乗っていけばよいと思っていた。

日光街道は千住宿を経て、草加、粕壁 幸手となり、栗橋で渡し船に乗り利根川を渡る。そして、古河、小山、宇都宮と通過し、宇都宮で奥州道中と別れる。別れてからは今市、最後の鉢石宿を越せば、日光に到着する。江戸から日光までは36里、約144k。日光詣での人々はこの日光街道を3泊4日で歩き通した。一日、平均9里、約36kのペースで歩いたことになる。




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