芭蕉のじいさん、旅に出る。


第1話 旅立ち

元禄2年に入り、芭蕉の周りで、にわかに奥州への旅立ちの話が持ち上がった。ことさら、芭蕉が行きたいと言っているわけではない。なのに、次の旅立ちはあの遠い奥州ではないかと門弟たちの間でささやかれているのである。その発端となったのは仏頂禅師の突然の芭蕉庵への訪問であった。禅師はことさら「他意はない。他意はない。」と言いながら、黒羽のことに触れた。「雲巌寺で、私は昔、修行したことがありましてね。今も、私の修行した庵が残っていると言う話を聞きました。芭蕉さん、もし奥州へと旅立たれるのであれば、一度、そこを見てきてほしいのです。」芭蕉は奥州へと旅立つ話をした覚えは無い。それにもかかわらず、高名な仏頂禅師がそう言われるには、何か含みがあるか。なかったとしても、何かの啓示かもしれないと杉風(サンプウ)などに話したのである。杉風の正式な名前は鯉屋市兵衛、幕府の御用達を賜る大商人である。今は40歳になったばかりで、商売も順調、俳句も芭蕉の高弟になって、面白くてしょうがない年頃である。

杉風に話したことで、芭蕉の奥州への旅立ちは規定の事実となった。だが、芭蕉自身はぐずぐずとしていたのである。「奥州は江戸とは違います。未開の土地ですよ。確かに、松島は名所らしいですから、見たいとは思いますが、そこまでの道のりには、追い剥ぎや山賊、熊やオオカミ、それに神様だって、人間にいたずらするものもいるでしょうから、私は迷っているのですよ。」しかし、弟子たちは芭蕉が西行にあこがれていることを知っている。だから、西行が超えたと言われる白河の関の、まだ見果てぬ地への漂泊の旅に、師症は恋焦がれているに違いないと決めつけていた。それならば、弟子として、師匠のために一肌も、二肌も脱がなければならない。江戸の俳句会を代表して、去来なども、芭蕉庵まで足を運び、絶対に旅では役に立つからと選別の品々を所狭しと芭蕉庵に置いて行く。だから、持っていく身のもなって欲しいと思うほどの数になってしまったのである。こうして、芭蕉は仕方なく、旅の準備を始めた。菅笠や股引の繕いを始めたのである。芭蕉は男であるが、一応旅慣れた身である。このような事には慣れている。だが、旅立つ先はあの遠い奥州だ。「そうだ、三里に灸でもしてもらおうか。」芭蕉は急におもい立つと繕いの方はほおっておいて、あたふたと出かけるのであった。計画性も何もなく。気もそぞろ、思い立つままに行動していたのである。

「芭蕉のおじさん。長旅に出るんですって。」梅乃が飛んできた。梅乃は売れっ子の辰巳芸者である。今、飛ぶ鳥を落とす勢いの紀伊国屋文左衛門にもとても気に入られているという。「長旅と言っても、奥州という処はとんでもない遠いところでしょう。おじさん、生きて戻れないかもしれないよね。」さすがに、誰もがそう思っていても、口には出さないことを梅乃は平気で口にする。「そうするとさ〜。この芭蕉庵、どうなるの。誰かに売っちゃうの。」呆れて芭蕉が空とぼけていると梅乃は言う。「私、結構、この芭蕉庵、気にいっているの。芭蕉のおじさんも変わっているから好きだけど、芭蕉庵はもっと変わっているから好きなの。」少しの沈黙の後で、「私、紀文のおじさんに頼んでみる。そして、この芭蕉庵を買ってもらうことにする。ねえ、いいでしょう。お願い。これまで通りに、桃印さんに住んでもらって、私は好きな時に来るの。」桃印とは芭蕉の甥に当たる。母親から頼まれ、一時は自分の後継者に育て上げようとしたのだが、肝心の桃印にその気がないのである。芭蕉は思う。確かに桃印については考えていなかった。今の桃印の気持ちなら、旅の前に伊賀か、大阪へ戻さねばなるまいとは思っていた。だが、それも桃印自身が決めることだ。もう一人立ちの時かもしれぬ。やや、あって、芭蕉は言う。「じゃあ。そういうことにしよう。」二人には、桃印も、特に金を出す紀文の事もお構いなしだった。そうなると決め込んでいた。芭蕉は芭蕉庵の入口に1句呼み、立て掛けた。もう、この家ともお別れだなと思った。そして、梅乃が住むとしたらお雛様でも飾るかもしれないと思った。
『草の戸も住替わる代ぞひなの家』

芭蕉が奥州路へと旅立つとの話は、芭蕉の門弟たちを通じて、江戸中に広まった。時期も暖かくなる3月の末、20日ころがよかろうと言うところまで、門弟たちは話を進めていた。そのような中、杉風が芭蕉庵に来た。「師匠、お供の者なんですがね。」と杉風は切り出す。「私はいつもひとり旅だよ。大げさなのは嫌いなのだ。」芭蕉がいつもの調子で答える。「でもね。師匠。先は奥州ですよ。関東や関西とは違いますよ。寂しいところらしいですよ。ですからね。師匠の安全のためにも、お供が必要だと考えたのです。それに師匠だって、旅に話し相手がいればこころ強いでしょう。」「う〜ん」と芭蕉は唸る。少し気取りたいが、気取って失敗した例は、この杉風に対しては多い。「う〜ん。」再び、芭蕉はうなる。芭蕉が唸っている間に、杉風は勝手に話を進める。「そんなわけで、お供を曾良さんにしてもらおうと思うんですよ。」曾良は本名を河合曾良と言い、芭蕉の門弟であった。元は芭蕉と同じく武士で、長島藩に仕えていたが、30代に入ったころ、何を思ったか職を辞し、神道と和歌、そして蕉門にも入り、俳句を学びに江戸に出てきたと言うが、芭蕉には彼に文化人の匂いを感じないのである。「幕閣のあるお方から話がありましてね。どこから聴かれたか、師匠が奥州に行かれるなら、河合を供にしたらよかろう。」と言うんですよ。私もそれを聞いて、適任だと思いましたね。何といっても、彼は律儀だし。性格も真面目。旅の路銀の管理もうまくやると思いますよ。」そして、杉風は声をひそめて、芭蕉に言う。「それにね。先生。曾良さんはやっとうの方も強いらしいですよ。その方が教えてくれました。」

芭蕉は曾良という人物を思い出していた。これまで、それほど親しく話したことは無い。句会でも、何時も下座にいて、話す声も小さく目立たない。彼が作る句も去来や基角の様な派手さはなく、どちらかと言えば地味だ。だが、芭蕉は彼の句をそれなりに評価していたのである。もともと芭蕉は去来や基角の派手な句は好みではなかったのである。

杉風は芭蕉の同意を得たと解釈して、「それでは、曾良さんにお願いに行ってきますよ。出発は3月の20日。その前に、盛大な送別会を行いましょう。」とにこやかな顔をみせて、帰っていった。杉風にしても、お得意先である幕閣の有力者の顔をつぶすこともなく、師匠のためにもなり、すべて上手くいっているのである。当然、すでに幕府から曾良に芭蕉の供をして、奥州に行けという命令が下されているはずである。その中身が何であろうと杉風や芭蕉には関係ないことであった。芭蕉が曾良の警護のもとで、無事な旅ができれば、それで良いのである。

芭蕉庵の売却は梅乃が有無も言わさず、紀文に買わせることで成立した。もちろん、紀文にとっても、大した金額でないことから二つ返事でまとまったのだが、それよりも、紀文の関心は芭蕉の旅だった。「最後は奥州だといっても、途中にある日光へは寄るのだろう。それは良い話を聞いた。梅乃、芭蕉さんが出発したら、すぐに私に知らせておくれ。予定が20日と言っても、芭蕉さんのことだ、ずれることもあるだろうよ。」紀文は何を思ったか、満足そうな笑みを梅乃の投げたのである。

紀文の予想通り、芭蕉の出発は7日ほど伸びて、27日になった。芭蕉は芭蕉庵から杉風の別荘に移っていた。殆ど準備らしい準備もしないままに、「慌ただしく、準備が出来ぬ。」と一人慌てふためいている芭蕉のじいさんに周りが振り回されていたのである。


トップページに戻る




Y-FP Office Japan by Idea21 Ltd.