芭蕉のじいさん、江戸に住む


第7話 桃印の反逆

江戸の芭蕉庵では芭蕉の甥の桃印がいやいやながら、俳句の修行を始めた。「お前は、この風の中に季節を感じないのか。」芭蕉はぴしゃりと扇子で、桃印をたたく。「風?隙間風が寒いだけじゃないですか。」桃印はつぶやく。芭蕉は言う。「風の中には、強い台風のような嵐もある。かすかに感じる微風もある。夏の風にはしめりけがあり、冬の風には刺すようなつめたさがある。お前にはその区別もつかないのか。」
桃印は反逆する。「おじさん、私は俳句に向いていないんですよ。風の中に季節も感じなければ、句も浮かばない。そんな私に俳句をさせようというのが、土台無理というものです。」芭蕉は怒る。「それじゃあ、お前はどうやって、生きていくというのです。」「そんなことは知りませんよ。もともと、私は望んで生まれてきたわけじゃない。偶然に、あなたが私の叔父になったからといって、私があなたの生業を受け継ぐ必要もないじゃないですか。」桃印は若いわりに口が立つ。芭蕉は悲しくなった。そして、涙が出てきた。「このわからずや。」扇子が飛んだ。「私は、お前のお母さんから、懇々とお前の行く末を頼まれたのだ。だから、苦労をしても、お前をなんとか一人前にしてやろうと努力しているんじゃないか。」「それが余計だというんですよ。」桃印は引き下がらない。そして、ぷいと横を向くと、外へ出て行った。

「今、桃印さんが真っ青な顔をして、出て行ったけど。」梅乃が顔を出した。そして、芭蕉の顔を見て言った。「あら、芭蕉さんが泣いている。」芭蕉は梅乃から顔をかくしながら、「涙などながしておらん。」とつぶやいた。「ほら、見て。これ紀文さんから買ってもらった着物なの。きれいでしょう。」芭蕉はチラっと梅野のきている着物を見る。「たいしたことはない。」「芭蕉のおじさんと来たら、よく見てよ。」梅野は不満そうに、品を作る。芭蕉は紀文が嫌いだった。あの蜜柑船の一件以来、紀文は時の人となっていた。知らぬ間に、鯉屋市兵衛とも親しくなり、幕府の勘定方の役人とも親交を深めているらしい。「どうも、あいつは気に入らない。」芭蕉はまた、言った。「でも、私にとってはいい人。」梅乃には芭蕉が紀文を嫌おうと、好きになろうと関係がないことだった。時の人になっても、紀文は今まで通りに、梅乃のもとにやってきた。けれど、梅乃が気に入らないのは、来るたびに、偉そうになっていくことだった。着ている物が立派になったり、手代や番頭を連れてきたり、しまいには籠にさえ乗ってくるのだった。当然、梅乃に対する廻りの辰巳芸者の嫉妬が高まる。いやみも言われ、仲の良かった芸者仲間たちが、梅乃から遠ざかっていった。そんな事情で、梅乃が芭蕉庵に来ることが多くなった。芭蕉は決して、梅乃を特別扱いなどしない。ただ、梅乃が親しげに桃印と話していると、邪魔をするだけである。

芭蕉は桃印との口げんかで、心が乱れた。目をつぶり、平常心を叫んでも、うごめく動悸を鎮めることは出来なかった。芭蕉は芭蕉庵を梅乃に任せて、臨川庵に仏頂禅師を尋ねようと思った。偶然に、大川のほとりでお会いした人だった。自分の作風に悩んでいたときに、昔の人、西行のごとき、漂白の旅の中にこそ、あなたの求める世界があるのではないかと諭してくれたひとであった。そして、今はお尋ね者の源蔵をかくまってくれている人でもあった。人の苦しさを引き受けてくれる人であった。「あの仏頂面のひと。」梅乃は言った。梅野も仏頂にあったことがあった。けれど、この仏頂禅師は梅乃に対しても、笑顔ひとつ見せなかった。「人生とは誰にでも与えられた修行の場なのだ。」というのが師の教えで、仏道にあるものに、女は無用というのが仏頂禅師の修行者としての悟りらしく、可愛い梅乃に対しては、ことのほか苦渋に満ちた顔を見せるのであった。そんなわけで、深川あたりでは梅乃から発信された仏頂面なる言葉が一人歩きをはじめていたのである。最近の若い者は言葉を大切にしないと芭蕉は思う。仏頂面もそうだが、江戸の町は新しい言葉を生み出すところらしい。江戸市中にうどん屋が出来て、江戸っ子のすきっ腹を満たすようになったのだが、その店がそばも売るようになり、けんどん屋と称した。安く品を提供するのはいいが、いたって、その主人は愛想が悪い。客には食べたら、早く帰れと言わんばかりである。そんなことから、そんな無愛想な人をつっけんどんな奴と若者たちが呼ぶようになった。言葉が乱れると芭蕉は思うのである。

その頃、江戸の木戸、木戸では夜になると、突然に、高提灯が掲げられて、夜通し、踊り明かす若者が現れた。最初は狭い木戸の内で、数もそう多いものではなかったのだが、次第に、大人たちも加わり、木戸から大川のほとりにまで、繰り出すようになった。さらに、ある者たちは大川に船を浮かべ、その中で踊り狂う始末だった。その中には桃印がいた。梅乃も加わることもあった。石戸神社近くでは太助がいた。彼らは将軍様のおひざもと、江戸っ子だと自慢しても、そのほとんどは各地から江戸に集まってきた者達だった。だから、親しい仲間が欲しい。突然の踊りは彼らの連帯感を増した。明日も踊ろうというのが彼らの合言葉になった。そんな踊りの中で、桃印は矢七という者と知り合った。矢七という男はばくちは打つ、置き引きはするという小悪党だった。楽をして、銭を稼ぐという言葉に、桃印は魅かれた。

それ以来、桃印は芭蕉庵に帰らなくなった。矢七とつるんで、江戸の町を転々としていた。
芭蕉は心配で、桃印の居所を追った。矢七といたところを見たという梅乃の話を聞けば、その男のいそうな場所へ飛んでいった。けれど、見つけることができなかった。

深川は横十間堀に続く、錦糸堀という小さな掘割で、魚がよく釣れた。そこがいつのまにか、置いてけ堀と呼ばれるようになった。それは何人かの釣り人が帰ろうとすると、何処からともなく「置いてけー、置いてけー」という気味の悪い声が聞こえてきて、それに怯えた釣り人が釣った魚を置いていったことからそう呼ばれるようになったそうで、今でも、時折、その声を聞くという場所であった。だから、そこは気味の悪い場所だとは思われていた。そんな噂を利用して、金を奪おうと思いついたのは矢七だった。そして、桃印とふたり、おいてけ堀の闇に潜んだ。そして、通る人に「おいてけー。おいてけー。」とささやくような声を震わせた。最初は引っ掛かる人もいた。二人は笑った。「見ろ。」と矢七が桃印に言った。だが、そこはますます、気味の悪い場所となり、夜はめったに人も通らなくなった。やむなく通る人も早足で、自分の荷物を握り締めて、走るように通り過ぎた。だから、効率が悪いと矢七は思った。「これは力ずくで奪うしかないな。」矢七は桃印に命じた。「俺がめぼしい奴に体当たりをして、そいつの荷物を投げるから、お前はその荷物を拾って、逃げろ。そこはうまくやれ、出来るだけ音を立てるな。」一人目はうまくいった。矢七は闇から不意打ちを食らわせた。持っていた荷物が手からこぼれるのを拾って、葦の中の桃印の潜むあたりに投げ込んだ。そして、桃印とは逆の方向に逃げた。この事件は奪われた男が肝の小さい男であったので、恐ろしさを広めた。「やはり、おいてけ堀には妖怪が出る。」噂が噂を呼んだ。そして、おいてけ堀を夕刻に歩くものがいなくなった。矢七と桃印は毎夜のように、獲物を求めて、闇に身を潜めたが、そこを通る人はすっかりいなくなった。


第8話 眼次郎の死

数日後、源蔵はおいてけ堀の噂を耳にした。しめたと思った。「おいてけ堀を通って、下総佐倉に帰ろう。夜ならば、人目につかずに江戸を離れることが出来るだろう。」そして、身支度を整えると、夜、深川の隠れ家を出た。そして、油断なく、おいてけ堀にさしかかった。矢七と桃印は獲物を選ぶ余裕はなくなっていた。だから、さすがに侍には手は出さなかったが、町人であれば、腕が立ちそうな男でも、脅かせばなんとかなると思っていた。そして、矢七が源蔵に突進した。しかし、地面に転んだのは矢七のほうだった。瞬く間に、腕を押さえられた。源蔵の持っていた提灯の光が矢七の顔を照らした。けれど、その明かりは源蔵の顔も矢七に見せることになった。「あっ。」矢七が息を飲んだ。あのお手配の男だ。「俺を知っているのか。ならば、やむをえんな。」源蔵は懐からドスを抜くと矢七の胸を狙った。矢七は慌てた。「桃印。桃印。助けてくれ。」矢七は必死で、桃印を呼んだ。桃印は葦の茂みから顔を出した。そこで見たものは矢七に馬乗りになり、今にも、矢七を殺そうとしている男の姿だった。「もう一人、いたのか。」源蔵はちらりと桃印を見た。すでに、源蔵のドスは矢七の胸を貫いていた。桃印は腰が抜けていた。あわあわと身体を震わしていた。矢七を殺した男が近づいてきた。

「おや。」源蔵が桃印の顔を見て、言った。「おや、おや、芭蕉さんのところの桃印じゃないか。」人殺しの源蔵だ。桃印も相手を知った。「殺される。」桃印は覚悟した。しかし、源蔵の言葉は意外だった。「おい、桃印。おれは芭蕉さんには世話になった。だから、おめえは殺さないでおくよ。だがな。覚えておけ、俺のことを一言でもしゃべったら、許しちゃあ、おかねえ。」

桃印は芭蕉庵に戻ってきた。芭蕉は桃印に何があったかは知らない。しかし、桃印は芭蕉が語りかけるたびに、何かを思い出すのだろう。身を振るわせ続けるのだった。

百人町の伊賀屋敷の片隅に、目立たぬ一軒の家がある。服部土芳というものが住んでいる。伊賀藤堂家の家臣でありながら、江戸の服部家にも出入りしている。その関係で、上方の情勢にも明るい男であった。そこに芭蕉が尋ねたのは源蔵がとうの昔に芭蕉庵を去った秋も深くなりかけたころだった。万年町で堀田という医者が殺された事件はお役人が入り、取調べの結果、この医者が元波多藩士堀田庄左ェ門であることが分かった。溜め込んだ金子というのも波多家が改易になったときにご家来衆に配られたものであったという。だから、芭蕉としては源蔵の事件の発端となった堀田正信様という殿様が、その後、どうなったのかを知りたくなった。伊賀の同郷であることもあって、土芳にはたびたび、故郷へ言付けなどを頼むこともあったからである。だから、土芳ならば、この話を知っているかも知れないと思ったのである。芭蕉の話を聞き終わり、土芳は、「ふーん。あの話か。あの話ならば、もうすでに終わっている。何でも正信という殿様は清水寺など京都見物などをしているところを捕まって、阿波に流されたそうだ。」

浅草、石戸神社近くの水茶屋のお銀は町奴の犬を眼次郎が手玉にとったあの一件以来、「うちの眼次郎にかなう犬などいないよ。」と言うことが口癖になった。そんな噂を聞いて、何人かが、自分の犬を連れて、挑戦したのだが、すべては眼次郎の速さを上回ることはできなかった。そして、そのたびに、お銀は一分のお金を手に入れた。そんなことの重なったある日、小さなわっぱが小さな犬をつれてやってきた。「ばあさん、お前んとこの猫をこっちの犬が捕まえたら、一分くれるって本当かい。」お銀はその小さな犬を見た。とても眼次郎の相手になるような犬には見えなかった。だから、本来なら、負けても一分こちらが払う必要はないのだが、「そうだよ。」と言ってしまった。
言って、後悔の気持ちも涌いたが、その小さな犬を見て、眼次郎が負けるわけがないと思い返した。

その犬はまっすぐに眼次郎に向かっていかなかった。ちょろちょろとあたりを動き回るだけだった。眼次郎も最初は油断なさそうに犬を見ていたが、襲っては来ぬなと判断したのだろう、大きなあくびをひとつした。お銀ばあさんも「この犬公、やる気があるのかい。」とわっぱに顔をむけた瞬間だった。わっぱの送った合図で、犬が眼次郎に襲い掛かったのだ。今までの可愛い犬の顔が恐ろしい形相に豹変していた。最初の一撃が眼次郎に致命傷を与えてしまった。必死で力なく抵抗する眼次郎の目がお銀に助けをもとめていた。

その夜、眼次郎は死んだ。お銀の必死の介抱も空しかった。弱っていく眼次郎をお銀は抱き続けた。何であんなことを言ってしまったかと、悔やんでも悔やみきれなかった。涙が流れ続けた。眼次郎は気丈なお銀の唯一の支えだった。眼次郎がいたから、お銀は強く生きてくることが出来た。しかし、眼次郎が死んだ。空ろな思いが暗闇の中で飛び回っていた。あばら家が本当のあばら家になっていくようで、たまらなかった。

「お銀がくるな。」
大川の対岸で、お銀が手を振って、甚平の船を呼んでいた。
お銀がその日、抱えていたのは眼次郎の骸だった。甚平もお銀が眼次郎を可愛がっていたことは知っていたので、いつもの眼次郎への悪態はつけなかった。それに、お銀の顔をみれば、悲しみが溢れていた。だから、「どうしたんだ。」と尋ねるのが精一杯だった。「私が悪いんだよ。」お銀はこれまでに何度も繰り返してきた言葉を口にした。甚平はこんなに気弱なお銀を見るのは初めてだった。普段なら、甚平が一言言えば、十倍の言葉で言い返してきた。そのお銀が、今日は甚平の慰めに、うんうんとうなずいているのである。私にはもうお前さんしかいないよと訴えているようで、甚平はいとおしくて、お銀の肩を抱いた。


第9話 招き猫

お銀は向島の甚平さんの掘立小屋近くの川原に眼次郎の墓を建てた。そこなら、眼次郎の眠りを誰も邪魔をしないだろうと思ったからだ。お銀は持ってきた墓標を墓の上に建てた。そこには立派な毛筆で、眼次郎の墓と書かれていた。甚平が聞けば、芭蕉さんに書いてもらったということだった。お銀は言う。「ほら、見てごらん、この墓標の裏、芭蕉さんが俳句とかいうものを書いてくれたんだよ。」甚平がそっと裏に顔を回すと、そこにはこんな句が書かれていた。“猫の恋 やむと閨の朧月”はせを

お銀はあたりを見渡した。春ともなれば、甚平爺さんの桜は見事だから人が集まる。みんなで、酒を飲みながら、眼次郎の話でもできればうれしいことだと思ったのだった。

墓を建てて、数日後のことだった。お銀の夢枕に眼次郎が現れた。いつものように、お銀のひざの上で、右手で顔を繕う仕草をする眼次郎がいた。お銀が手を伸ばして、「眼次郎!」と呼びかけたとき、眼次郎がニコッと笑ったように見えた。そして、眼次郎が悲しまなくてもいいよと話しはじめたのである。自分はお銀さんのそばにいつまでもいるよと。

この日、芭蕉はお銀の店で、人と待ち合わせをしていた。深川臨川庵で、知り合った鹿子畑高勝と落ち合い、旗本蘆野民部資俊殿を訪ねることにしていた。鹿子畑高勝と蘆野資俊の二人は芭蕉の門弟だった。共に深川臨川庵に仮住まいとしている鹿島根本寺の住職仏頂禅師を通じて知り合い、芭蕉から俳句の手ほどきを受けていた。鹿子畑高勝は那須の黒羽、大関家の家臣で、まだ24歳と若い。弟の豊明とともに、芭蕉の弟子となっていた。

「まだ、高勝さんは来ていないようだね。」芭蕉はすだれをあげながら、お銀に言った。お銀は見れば分かるよと言いたげに、ゆっくりと誰もいない店を見渡して、それから、芭蕉の袖を引いた。お銀が話したかったのは、夢枕に現れた眼次郎のことだった。「芭蕉さん。聞いておくれよ。」
お銀は芭蕉に、夢に現れた眼次郎の様子や自分の人形を造るようにと言った眼次郎の言葉などを話し始めた。お銀は眼次郎のことを思うとまた、涙が溢れ出しそうだった。でも、涙が出ても、この話を誰かに聞いてもらいたかった。話が一段落して、お銀が首をうなだれたとき、店に新しい客が来た。焼き物職人の太助だった。

お銀は太助の横に座ると、太助の袖を引いた。「太助さん。聞いておくれよ。」

お銀は二人に眼次郎のことを繰り返し、繰り返し、話し続けた。お銀はとにかく、誰かに聞いてもらいたかったのだ。「夢に出たんだよ。」芭蕉も太助も黙っていた。一言、慰めの言葉でも語れば、お銀の口から大音響の泣き声が爆発しそうだった。「こう言ったんだよ。自分の人形を造っておくれって。」お銀ばあさんの目が眼次郎を捜していた。「太助さん。ばあさんのために眼次郎の人形を造ってやっておくれ。」芭蕉から太助にわずかだがと、金を渡すのが見えた。「そうだな。いつもは茶碗しか作ってはいないけど、余った土で眼次郎を造り、焼いてみるかな。」太助は芭蕉にその金を戻しながら言った。「本当かい。太助さん。有難とね。有難とね。」お銀は太助に何度も何度も礼を言った。

鹿子畑高勝が店に顔を出したのはそんなときだった。ただならぬ雰囲気を感じて、芭蕉に聞いた。「何があったんですか。」「いやね。猫が死んでね。」「ああ、猫が死んだんですか。」
その言葉に、お銀が切れた。「猫。猫と言うな。わしの眼次郎を猫、猫と軽く言うな。」芭蕉が悪い悪いと謝りながら、「こちらは鹿じゃ。」とつぶやいた。

太助が焼いた眼次郎の置物はお銀には気にいらなかった。「確かに、わしは眼次郎がよくする姿と注文したよ。眼次郎はよく右手で顔を洗う仕草をしていたからね。でも、太助さん、これじゃあ、右手を上げているだけじゃないか。左手も上げたら、万歳だよ。」
太助は困った顔をお銀に見せた。「でも、俺の腕じゃあ。これで精一杯だよ。もっと右手を前にするとかけちゃうのさ。我慢しておくれよ。」お銀の前に困っている太助がいた。その気持ちがお銀に伝わった。お銀のしわの多い顔に笑顔を戻った。「ありがとよ。太助さん。よく見るとよく出来ているよ。眼次郎そっくりだよ。大事にするよ。ありがとね。」お銀は太助の作った眼次郎の置物を神棚に置いた。そして、しばらく手を合わせていた。

「なかなかいいね。」芭蕉がお銀に言った。「そうだろう。」お銀も最初の評価を忘れていた。そして、自慢そうに神棚の上の置物を見つめていた。
「そうだ。お銀さん。この置物を一時ほど、わしに貸してくださらんか。」お銀が不思議そうに芭蕉を見た。「いや、浅草寺の門前近くにわしの門弟のやっている焼き物屋がある。そこに頼んで、この人形を浅草寺参りのお土産として、置いてもらったらどうだろう。」お銀が抵抗した。「いやだよ。眼次郎はわし、一人の眼次郎だよ。」「そう言わず。話がまとまれば、太助さんに沢山焼いてもらって、眼次郎を沢山の人に知ってもらうことが出来るじゃないか。」お銀はしぶしぶ神棚から眼次郎の置物を芭蕉に渡した。

芭蕉の門弟、平塚屋清兵衛方の店先に眼次郎の人形が置かれたのはそれから間もなくだった。太助が閑を見つけて、2,3個焼いたものを置かせてもらった。売り上げの半分を清兵衛がとり、残りを太助とお銀が分け合うという条件だった。ところが、その人形が売れたのだった。最初に買った客は芭蕉の門弟仲間のようだったが、それにつられるように、人形が静かに売れ始めた。太助もお銀も半信半疑だった。こんな置物が売れるはずがない。特に、太助はお銀に言った。「おれのような未熟な職人の造ったものだ。そんなに売れるはずがないよ。」お銀は太助の背中を叩きながら言った。「何を言っているんだい。お前は立派な職人だよ。」そう太助には話したが、太助が帰るとあわてて、神棚の眼次郎に祈った。「どうか、未熟な太助の焼き物でも、皆様に、買っていただくことが出来ますように。」と。

ところが、1ヶ月後のこと、お銀は清兵衛から思わぬ話を聞いた。「お銀さん。あの猫の置物にはご利益があるらしいだよ。」お銀はきょとんとした顔を見せた。「何でも、買ったお客さんの中に、あの猫を置くようになってから、客が増えたという人がいてね。それも一人や二人じゃないんだよ。つまり、福を呼ぶ招き猫らしいんだよ。だからね、うちも、太助さんにお願いして、ちょっと大きめの招き猫を作ってもらおうと思っているんですよ。ご利益を授かるようにね。」


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